花火野郎の花火撮影行日記 Restructured

1995年8月30日(順延開催)
第69回 大曲全国花火競技大会
     
秋田県・大曲市

8月26日(土曜日)正規開催日
   
 なんということだ!「中止」。中止である。正確には順延だが予定された日に観られないことには変わらない。
 原因は前日夜の東北南部の大雷雨。雄物川が増水し、打上場と観覧席が冠水。危険状態となったためだ。中止発表は午前9時30分。
 私は前夜入りで秋田駅近くのホテルに泊まっていた。確かにその晩は翌日はどうなるかと思われるほどのもの凄い降りだった。
 この雨の影響で、奥羽本線、田沢湖線とも各所で寸断され、ダイヤはズタズタ。一部は路床の土が流されたらしい。
 中止を私が知ったのは当日。原型を止めないほどのダイヤの乱れで、秋田駅から6時間も(6倍!)かかって大曲駅にようやく着いたその時、午後1時になってからだった。秋田からの道中、車窓から眺める稲田は散々な状態だった。刈り入れを待つばかりの田圃は雄物川の増水によって丸ごと水没しているところが何カ所もあって心が痛かった。
 見巧者・奥村氏は仙台駅で事態を察知して引き返し、見事全額払い戻しにも成功した、というあたりが鉄分の強みか。そのまま盛岡経由で向かうにも田沢湖線は機能停止でたどり着けないところだった。
 現地にたどり着くことで頭が一杯で商工会に問い合わせなかったのが悪かったが、当日は好天でまさか河川敷が水没しているとは夢にも思わなかった。納得がいかない観覧客は私ばかりではないようで、晴天の大曲駅で順延を知らされた客の中には会場までわざわざ「本当に開催できないのか」確認しに行った者も居たらしい。そして手前の堤防から対岸の堤防まで河川敷全てが川になっている現状を見て納得したらしい。河川敷に駐車していた車はどうなっただろう。キャンプ組のテントもずいぶん流されたらしい。情報伝達もかなり混乱していたようで主催者は順延の連絡だけでも大騒ぎだったに違いない。
 プログラム誌だけは購入したものの天候はほぼ回復してはいるが中止ではどうにもならず、私は会場を見る気にもならず。そのまま帰るにしても日中一杯ダイヤ混乱ですぐには身動きがとれなかった。
 開催は30日になった。川の水が引くこと、そしてそのあとの河川敷の整備、消毒などに時間を要するためだ。私はいったん帰宅し、再度30日にリベンジすることにした。金はかかるものの30日も不参したら全損の上に、撮影の成果も得られない。
 遠方から訪れるどの観客にも手痛い26日の開催日となった。よそ者には厳しい試練となったわけだが、同時にこの順延という事例は主催者に多大な負担を与えたのだった。煙火業者への連絡。有料桟敷客への連絡、ツアーへの連絡。全ての弁当類のキャンセル等々、およそ大曲主催者にして何がどうであろうと「予定通りに強行した方がどれほど楽だったか」を思い知らせた。以降、大曲全国花火競技大会は開催時の強雨や強風程度では二度と順延していないのである。ともあれ観る場所も打上場所も完全冠水というこの年の事態では順延は止むなしだったと言える。
8月30日(水曜日)順延開催日
   
 「奇跡の晩」だった……。まったくもって運にもツキにも見放されたかのような今年の自分にもこんなひとときが訪れるのか。神懸かるというか、天使が微笑むというか、そんな晩が。道を追い求めていればいつか報われる時が来るのか、そう思わずにはいられない奇跡の夜だった。
 日中は北よりの風。西山から金谷橋へ会場を斜めに横切る「いつもの」風。やはり雲が出てしまい昼花火は今年もその雲を背景にした恰好で冴えない。しかも開花する高さに風が全く無く、地表の煙は流れていくのに、カラースモークが開花する位置の残煙はいつまでも流れない。今年も上空と地表とで風向きも強さも違うのか気分が塞ぐ。
 しかし奇跡は夜の部が始まって、プログラムが進むにつれて訪れた。北西から北寄りの風でスタートしオープニングのナイアガラの煙はいったん立ち昇ってほぼ川に平行に上流に向かって流れてゆく。スターマインの煙もゆっくり全体が上流に流れてまずまずのコンディションだった。そして中盤、風は土手の堤防道路に立つ自分の背後からの東風に変わっていくのだった。全ての花火の発煙が対岸後方に流れていく順風。最高のコンディションになった。1990年の初観覧以来一度も無かった好条件が信じられない!(注:その後私が観覧した2010年まで夜の部でこれほどの好条件は二度と無かった)。
 今回は出直しなので前泊の宿は取らず、当日大宮発07時12分の臨時の新幹線で向かう。正午近くに大曲入り。太陽に暈がかかり、天候の崩れを予感させた(結果としてその通り)。
 涼しい。会場に向かう途中で新しい住宅が増えたと思う。会場に着けば、もっと泥が残っているかと思っていたが水没したという河川敷はすっかり綺麗になっていた。とりあえず撮影候補地に三脚を立てて金谷橋方面へと堤防道路をブラブラ。地元の写真家や愛好家に声をかける。順延しての開催日のせいかやはり会場全体を見渡すに人も車も少ない。桟敷の客も少なく、後になって当日桟敷券を1000円で販売したようだ。
 夜の部で注目していたいくつか。
 「割物の部」
 紅屋青木煙火店の三重芯。さすがだ。思わず声が出た。最中芯部が十分に大きい銀芯で、この芯部分だけで他者作品の倍くらいの大きさがある。写真で1994年度の同煙火店のものと比べると盆がやや垂れている。1994年のものは真球に近かった。芯部の出方は今年度の方が良い。あと今回はやや消え口が揃わなかったか。自分から観て右斜め上から左斜め下へと波打つように順に消えた。消え口の鮮烈さでは1994年のは良い出来だったと感じる。2発目の千輪物も思わず唸る出来映え。小割ひとつひとつには各色の星を込めてステンドグラス様のものを使い、芯に銀菊を配した逸品で写真写りも上々だった。
 菊屋小幡花火店の四重芯。終盤にエントリーしていたので心配していたが、案の定前の打上の煙が履けないうちに上がってしまった。幸いに昨年のように中心部がかき消えることはなかったが、写真としては残念な結果。肉眼視ではかろうじて五重丸に見えたがはずなのだが、写真を見るとどう数えても四重しかない。??それに盆がやや小さいように思われた。
 太陽堂田村煙火はなぜか打上高が一番低く、もっと上昇すると思ってレリーズがやや遅れ、撮りとしては芯が抜けてしまったのがミス。
 印象に残ったのは紅屋青木煙火店、菊屋小幡花火店、北日本花火興業、菅野煙火店、三遠煙火(相変わらず冠が絶品)、磯谷煙火あたり。
 「創造花火」では、北日本花火興業、紅屋青木煙火店、根岸火工、磯谷煙火、菊屋小幡花火店、海洋化研、信州煙火工業が良かったと感じた。全体に錦冠エンドが多かった様な印象。
 「大会提供」は絶品。終了後は本当に演出部長に抱きつきたいと思った。撮りも会心の出来だった。ラボ店頭のビュアーで上がりを観た瞬間は、「俺がこんな凄い写真を……」と震えた。特に後半の根岸火工の青芯の点滅菊から青木煙火の紅蜂を連打するあたりの写真が素晴らしかった。途中の創造玉(型物)、蝶、UFO、アトミックなどを5箇所ワイドで上げる趣向も良かった。ここは欲を言えば端から順に打ってそれぞれを良く見せる部分があると良かった。錦冠の一斉打ちは中盤に入れ、ラストは20箇所からのトラと菊もの一斉打ちでやや余韻を残した幕切れ。拍手喝采だった。
 プログラム後半では続けざまに打ち上げてしまって一部の良作も影響を受けてしまったが、昨年のように悪条件でまったく見えないということはなかった。
 全体として90点のまずまず満足のいく撮り。いくつか凡ミスもあって完全燃焼とはいかなかったが気象条件は最高のものだった。しかしフィルム交換のタイミングなどに課題が残って集中できない部分もあった。これは以前のように早めに(多少未撮影のカットが残っていても早めに新しいロールに換えてしまう)交換しなかった事に因る(心のどこかで節約したいと思っている貧しさ)。
 あと呼び出しアナウンスの多過ぎること。全てのプログラムの合間に、今年はなんと創造花火や仕掛けスターマインの打上中にさえ呼び出しのアナウンス。これらが耳に煩わしくて気分が乗りきれなかったのが残念。もっと集中しなくては。
 撮影は30枚撮りで12本消化。レンズはズームのみ。撮影ポイントは1994年度とほぼ同じで会場全体をやや上流方向からハスに観るいつもの好みの位置。当初は例年のような風向きを予想して対岸の高台に移ろうとぎりぎりまで悩んだが結局動かずして正解。
 順延のせいか観客は過去に経験のないほど少なかった。ツアーなど他所からの観光的観客が減り、大曲の花火は久しぶりに本来の地元大曲市と近隣の客のために行われた形になった。
 この晩は「野宿」。順延日だったせいで、本来の開催日ならあるはずの臨時列車ダイヤが無く、盛岡方面の最終は22時16分。花火終了が21時45分過ぎだったので、片づけをしなくても最後まで観れば間に合わないことになった。こんなことなら日中に東京から車で来ていた愛好家氏に声をかけておけばよかった。終了後は別の場所で観覧していた愛好家氏に再会できずつまり車に同乗させてもらうお願いができなかった。
 花火が終わってしばらくしてから駅に向かう。しかし構内も周辺も騒がしくて寝られそうもなくて会場河川敷に引き返す。雨が心配な空模様だった。河川敷には当然ながらもう観客は残っていなくて、後かたづけをしているテキヤさんも一軒だけ。桟敷席の灯りが残っているだけだった。
 堤防のり面のコンクリートで段になっているところに周りから使い捨てられたシートや段ボールを集めて敷き(浮浪者ですか)、ビールを飲んで横になる。シートを掛け布団かわりに冷え対策として使い捨てカイロも使う。やれやれ夏とはいえ綿の服じゃ夜露に濡れてしまうなぁ。最初から野宿とわかっていればテント、寝袋、断熱シートの3点セットを持って来たのに。それでも素晴らしい花火の余韻で幸せな気分だった。見回りのスタッフが何度か訪れる。撮影と観覧の疲れもあって一眠り。と、午前3時近くになってかけたシートをパラパラと叩く音。日暈がかかっていた荒天の兆しの通りに雨。さすがに野宿は退散して駅に避難する。既に駅は真っ暗で以前と違って構内にも入れない。軒先を借りるように雨宿りしてコックリ、コックリ明け方へ。朝一番の06時34発たざわ、で帰る。
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