花火野郎の花火撮影行日記 Restructured

1995年8月17日
平成7年 熊野大花火大会
     
三重県・熊野市

 念願の宿願の熊野へ向かうことになった。一度は諦めたが、もう行けないかもしれないという想いも強く、行かなかったことで後で後悔したくなかった。
 東京駅発08時28分。名古屋着が10時50分。熊野着は13時43分だ。
 自宅を午前7時過ぎに発つ。名古屋からは特急南紀5号。名古屋では午前10時50分発と早いにもかかわらず、既に熊野に向かうとおぼしき写真愛好家の姿があり同じ列車に乗り込んでいた。
 遠い。印象はこれに尽きる。名古屋−熊野間が実に2時間50分あまり。停車駅もなくひた走るだけなのになかなか着かない。
 さすがに車内で後半は乗り疲れてぐったりしてしまった。尾鷲から乗り込んできたオバちゃん達と言葉を交わしながら情報収集。自分は初めてだし、撮影のためのロケハンの時間もあるのだが、見物だけの一般観覧客がなぜこんなに早い時間に向かうのか?と問うと、午後をまわると「列車が混む」ということらしい。
 車窓から見れば、まだ午頃だというのにすでに熊野へ向かう国道は渋滞している。車なら夜中に走って明け方に到着していなければダメなのだろう。
 現着。暑い。帰りの切符を購入し近くの観光案内所に寄る。帰りの切符といっても各停の普通列車だ。特急とその指定席はすでに売り切れているし、だいいち離れたみどりの窓口では買えない仕様なのだ。
 プログラム誌を求めるが「えっ??」というほど簡素なものだった。まさか、と思ったが、交通規制図の裏にちょっと打ち上げ順が載っているだけのペラ一枚ものなのが信じられない。想定した花火の規模からすると立派なそれがあると思っていたのだ。
 結局大会本部にも足を運んだが、それらしい「立派な」プログラム誌はなさそうだし、誰も持ってないのだった。そこで団扇ももらって会場の七里御浜へ。
 駅からはごく近い。既着の観客は誰も、浜に敷物を敷いた後は、それぞれ家や近くの日陰に非難して涼を取っているようだった。だから浜はシート類だけでほとんど無人。強烈な陽射しだけが在った。
 フイルムが煮えてしまうので荷物と機材を日陰に避難させてさっそくロケハン。
 地図上では遠いと思っていた熊野を代表する名勝地「獅子岩」は駅から行き当たった浜の入り口からほんの数百メートル先だった。存外に近い。海に向かって獅子が咆哮するような形の獅子岩は、それをシルエットにその向こうに無数に咲く花火を取り入れた構図の花火写真が定番で、もっとも一目で熊野の花火とわかる構図だ。
 なるほど近くでみれば獅子の形をした岩だ。やはり定番スポットとあって、早くも相当数の三脚が林立していた。とりあえず三脚群の一角に混ざっておく。近くにいた写真愛好家に話を聞こうとするがどうやら皆が「初めて」というので情報を得るには至らなかった。それから何度も国道上を行き来して観覧場所を考える。
 獅子岩も良いが、大変な時間をかけてやってきて定番の構図というのもな。それとそれを前景にすることで肝心の花火の半分以上が欠けて見えなくなる、というのも抵抗があった。初めてだからすっきり遮るものなくまずはその打ち上げ空間の全貌を見てみたかったのだ。
 浜に降りてみると驚いたことに砂は全く無く、ひとつが数センチ径の砂利浜だった。それが波打ち際までそれで、波が寄せるたび、ジャラジャラと音をたてている。砂はずっと下がって道路沿いの一部にしかなかった。
 歩きにくい。それに石が熱を含んで熱い。石焼き芋になった気分だ。シートに座っている客など居るはずもないのは当然か。浜は二段階に段差があり、下の段に降りると、海の花火を見に来ているのに海面がほとんど見えないので、浜からの撮りはなさそうだ。
 さて名物の「鬼ヶ城仕掛」に近づいて、もっとも近くの浜から双眼鏡で見てみると、なんと岩場に20号までの花火玉を直置きするという超荒技に驚く。点火後はどれほどのことが起きるのだろうと想像しただけで、ゾクゾクしてしまう。大型のスターマインも数セット並べられている。その他に一斉打ち用の筒の束が無数に配置。岩場の斜面やほら穴のような場所は花火で埋め尽くされている。
 鬼ヶ城の岩場の手前にある広いコンクリートのケーソンの上にも多数のスターマインセットが並んでいた。一部は斜め置きの海上打ち出しセットだった。
 やがて到着時には無かった台船が曳かれて移動してきた。定位する。近い。なんと近いことか。台船まで300メートル程度か。台船上には、スターマイン、5〜7号。10号に加えて15号、20号の筒もあるではないか。こんな至近距離で20号を?
 台船のやや後方に三尺玉海上自爆の筏が別に浮かぶ。筏の上に櫓を組み、三尺玉を持ち上げて浮かせて支えているようなかっこうだ。ちなみにこの海上自爆の点火は、点火船が筏船に近づいて横付けし、人が延時導火線に着火し、急いで離れるという方法を採っていた。着火後は約1分40秒ほどで開花するとか。
 海上花火はこれだけでなく、実際のプログラムでは鎌倉や宮島でも行われる水中投下式のものがあり、プログラム上ではこれも海上自爆と呼んでいた(10号入り)。
 観客席となる浜の中央部の波打ち際、ちょうど井戸川の河口あたりにには立ち入り禁止の一角があり、海に向かって打ち出す斜め打ちのスターマインセットが置かれていた。波打ち際には獅子岩をさらに過ぎた先から、浜の左端のコンクリートのケーソンまで約1,200メートルの長大なナイアガラ仕掛けが架けられていた。このナイアガラは1本繋がりではなく斜め打ちスターマインの区画で途切れてそこを挟んで左右に延びている。
 撮影ポイントに悩み、何度も獅子岩と国道沿いの七里御浜のバス停あたりとを行ったり来たり。最終的にやはり、「花火を撮りに来たのだ。岩を撮りに来たのではない」と正統的に考え、打ち上げ区域全体が一望でき見渡せる最終的にバス停あたりの国道沿いポイント、浜に降りる大きな階段のあるその一番視点が高い位置にした。付近から浜に降りる人ひとりひとりにゴミ袋を配布していたのが好感触。
 ここで悔しかったのは、150ミリレンズを持って来なかったこと。撮影ポイントから鬼ヶ城仕掛けまでは約1キロメートルになった。ファインダーで構図を確認したが、ズームの望遠側一杯110ミリでは、台船、ケーソン、鬼ヶ城いずれもやや遠くはみ出るような迫力は得られそうもなかった。撮影では55〜110ミリズームと一部で45ミリを使う。
 鬼ヶ城近くは、浜は到着時に既に場所取り完了状態で、浜の後ろは夜店群。その後ろ防波堤部分には常設と思われる桟敷席仕様になっていて、ふらりと来たのでは撮影場所か無かった。桟敷を見越して国道沿いで撮れもするが、それには背の高い梯子や脚立と背の高い三脚が必要だった。
 風は海から吹く南風だったが、観覧位置からで右からの横風になる。つまり鬼ヶ城仕掛けが近くなるように浜の左側に位置すると風下気味になってしまう。なので全体を観るにはこのロケーションではまずまずの選択と言える。
 開催時間は1時間25分となかなかの長丁場だ。プログラムは元々はお盆供養の花火から発展した大会というだけあって追善スターマインが多い。浜中央の斜め打ちスターマインの出番も多く、ぎおん柏崎まつりのような海空中スターマインを中心に撮ることになった。海に向かっての撮りになるだけに花火の他に写るものが何も無い。わずかに遠くの街明かりや灯台の灯りがあるだけだ。幸いにバス停ポイントからは4〜5軒の夜店が浜に出ているのが見えて、これを前景に写し込むことにした。
 メインの台船方向も花火以外に何も写るものがない。バス停からで、海空中スターマインは45〜55ミリ。台船は110ミリ。10号発射時で75ミリ程度。二尺は55ミリ。鬼ヶ城は110ミリ側一杯。三尺海上自爆は75ミリ(もう少し寄せても良かった)。三尺海上自爆も本部前や浜で観ていたら大迫力だろう。悔しかったのは、150ミリレンズを持って来なかったこと。撮影ポイントから鬼ヶ城仕掛けまでは約1キロメートルになった。ファインダーで構図を確認したが、ズームの望遠側一杯110ミリでは、台船、ケーソン、鬼ヶ城いずれもやや遠くはみ出るような迫力は得られそうもなかった。撮影では55〜110ミリズームと一部で45ミリを使う。
 中盤、台船からの打上は、15号、20号を含んでいた。20号はいきなり上がってあわてて撮れず。情けない。しかも今度こそと狙った2発目の20号は不発弾。海中に落下した。
 ナイアガラはなかなか距離が長かった。裏打ちとして斜め打ちスターマインを伴っていた。三尺玉海上自爆はやはり音が凄い。撮影で困ったのは「何時」開花するか?という撮りのタイミングが読めないこと。何カットも開けては閉じを繰り返す。途中で筏の方を見ていると「別の船で点火したあと離れるんだな」と判り、それから後になんとか合わせることに成功した。 
 失敗だったのは、三脚の上下ロックが緩んでいたのか、多重露光時にカメラがブレてしまったこと。花火はともかく夜景がダブってしまいNG。
 熊野の花火は全体としてそれほど芸術性をアピールしているものではない。しかし何よりもここのハイライトはラストの鬼ヶ城仕掛けに尽きる。これは凄い。次回はぜひ近くでこれだけを観てみたいと思った。最初はえー?この程度、と思っていたが、中盤、岩場や洞穴の地雷花火が始まるや一気にレッドゾーン。まさに岩場が吹き飛ぶかと思うほどだった。
鬼ヶ城の流れは、
1. ワイド一斉打ち
2. 斜め打ち出しを混ぜて10号の大型スターマインを左右の二カ所地点で交互に。
3. 岩場での地雷花火開始。10-15-20号地雷を含む。
4. 斜め打ち2箇所同時。10号入り大型スターマイン2箇所同時。
 終わったあとも、岩場のところどころが灼けたのか真っ赤になっていて不気味な程だった。何度か訪れる機会が在れば一度は獅子岩ポイントから狙ってみたい。今回、終盤は風が悪く、鬼ヶ城の直前のプログラム・海上自爆の煙が、その鬼ヶ城岩場の前面に立ちこめてしまって視界が悪く残念だった。
 帰りは、23時50分発の臨時の亀山行き(普通列車)だが、これに乗るために駅に続く道路脇に行列して待たなければならない(苦行である)。立ちんぼで3時間半以上待って乗車するも、単線ゆえの大幅な遅れで乗って発車は午前1時くらいだった。夜通し走ってそれでも着くのは亀山駅。それから名古屋方面の始発をホームで1時間も待ってようやく名古屋へ帰還。長すぎる一日(足かけ2日?)で、精根尽き果てた。浜の一角、玉石ではなく砂地になっているあたりでのテント宿営組も居たのだが、特急に乗れない限りはテントで一泊の方が楽かも知れない。ホテルなどが少ない熊野市ではそうしたところへの予約も無理かと思われる。
 現像後。斜め打ちスターマインはぼちぼち。初観覧だからこんなものか。三尺の海上自爆はうまく撮れた。鬼ヶ城はケムケムで見られるのは1カットのみ。
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