花火野郎の花火撮影行日記 Restructured

1994年9月4日
新作花火大会 花火サミットin 諏訪'94
     
長野県・諏訪市

94tanpopo.jpg 厳選全国花火大会観覧・撮影ガイドにも記載しているが、現在の「全国新作花火競技大会」である。前身は「諏訪よいてこ花火大会」で、JTB主催の観光ツアーの一環として花火を見せるイベントだった。それがこの1994年に「花火サミットin 諏訪」と改名した。もとより新作物花火大会で独自色は、競技会ということもさることながら、「創作花火」ばかりを見せるという点であまり例がない。12回目を数えるこの時は28名の花火師が集まり、創作物、新作物という作品で競い合った。
 8月15日の湖上祭とは別に新たな大会として定着させたいと考えていたようだ。当初は別の祭り(太鼓演奏)などと抱き合わせの企画だったが、花火のみを切り離した格好。この年は宣伝として花火と花火写真の講演を花火大会の前座として開催することになり、花火そのものについての講演を「ドン!と花火だ」の著者・煙火師として故・武藤輝彦氏が、花火写真の撮り方についてを私が講演することになった。
 日曜日ということもあって中央自動車道は行楽に向かう車で大渋滞。午前8時30分に出てきたのに早くも間に合うのかとイライラ。ある場所で車線変更をしたとたん、渋滞した車の間をすり抜けて走ってきた(危ないから車と車の間を通るなよ……)バイクがドーン!こっちはドアミラー破損と右フェンダーが凹……。うちの車にはフェンダーにもウィンカーが付いていて、正面を見て走っていれば車線変更で鼻先を出した時点で見えるはず。こちらもミラーで確認、ウィンカーを出して少し右に出たところでまた確認のためにいったん止まったわけだが、ギュオーンとエンジン音がしたと思ったらそこにモロに突っ込んできた。「前見て走ってないのかコイツは……」。全くツイていない。
 ICから2〜30分かかってやっと会場の諏訪市文化センターに11時30分に到着。すぐさま昼食。すぐさま再び文化センター戻る。講演は13時からだった。車から資料やらなにやら取り出して、会場に入ると早くも大混雑の盛況ぶりなのに驚いた。いゃーこれはたまげた。ばたばたと準備にとりかかる。既に井上(明)氏や見巧者・奥村氏も席についていた。午前中から会場入りしている人も居るとかで、まだまだ暑い盛りの時期に80名が定員の部屋には、主催者の予想を超える200名余が詰めかけてごったがえしていた。満席どころか、壁際に立ち見客が出る始末だったし、1階の部屋だったせいで、駐車場?に面した窓が開け放たれ、窓の外から覗く立ち見客が鈴なりになっていた。聴講客の多くがカメラバッグや三脚を持ってきており、そのまま夜の花火の撮影に備えているようだった。そ、そんなに花火の写真に興味あるですか……?
(注:この後、何度か講演をやり、その後は別の講師が花火撮影を教えることになって私は降りた。しかしこの最初の講演よりもっと規模の大きいホールに会場を移したにもかかわらずそこが満席になるほど写真撮影熱は高かったのだった)。
 盛況の発端になったのは、同年8月30日付の朝日新聞の家庭欄(全国版)にこの普段とは違った形の花火が観られそうという花火大会の開催と、花火写真の撮り方の講座開催の記事がが載ったことが大きいと考える。紙面には篠原煙火店の「花時計」の花火写真とともに「花火撮影の極意を伝授」などと私が言ってもないフレーズで宣伝されてしまっていたから、どこのどいつが偉そうに講釈をたれるのか、と諏訪近郊の写真愛好家の猛者達が集結した格好か。
 問い合わせ先になっていた諏訪湖温泉旅館協同組合には、掲載日の朝から大会について、講演について、宿泊の手配とか電話が殺到しててんてこ舞いだったらしい。そんなことはまったく知らない私だったが、数少ない旅館組合のスタッフ全員の顔が引きつっているのを見て、そして講演予定の会場を一目見てただならぬ事態を察知した。
 顔見知りの愛好家が何人か客席にいるので安心していたが、予想外の客の多さにアガる気はなかったのに、慣れない人前での講演に一気に緊張感が押し寄せてきてしまった。花火についての基礎知識を武藤氏が講演したあと、自分の番になったものの、出だしから一気にアガってしまった。この日のために色々用意してきたのに何を喋っているのだかわからない。気を失いそうな気分だった。恐らく血の気が引いていたに違いない。情けない。途中から前の方のおばちゃん達にジョークが利き始めてリラックス。終盤は持ち時間が無くなり、一気にまくしたてて終了。あぁぁ疲れた。と言っている間もなく、今度は午後4時からSBCラジオに生出演だ。
 講演そのものはともかく、この日は私にとってエポックというか特別な日になった。講演後の私や武藤氏の周りに自然発生的に期せずして集まったのは、既知だった人も初めて顔を会わす人もその後長らくおつき合いさせていただくことになる各地から訪れた花火愛好家や写真愛好家たちだった。お互いに自己紹介し、花火というひとつの共通項で長らく語り合い、そしてこの後も交流を深めたのだった。現在でこそ花火愛好家同士の交流、グループ的な集まりはいくつもあるだろうけれど、この諏訪での出逢いは、それまで個別に鑑賞していた花火好き同士が接触し、交流や情報交換をすることの始まりだったのだと振り返る。
 講演後、武藤氏は宿泊ホテルへ向い、私は自分の車で、撮影場所に用意された諏訪湖ホテルに寄って三脚を立ててからホテルへ。宿泊地にあてられた「浜の湯」は自分では絶対使えないだろうもの凄くお値段の高そうなところだった。荷物を下ろして休憩してから再び諏訪湖ホテルに機材を運ぶ。花火までは余裕があるので湖畔公演を散策すると文化センターの講演終了後に直行してきたであろうカメラマンで一杯だった。
 夕食後にホテルの屋上へ。眼下に見る石彫講演もぎっしりの観客で埋まっている。風向きも天気も良い。
 花火は19時30分から。競技は出品者ごとに、7号玉4発、10号玉1発で競われる。今回、旅館協同組合のはからいで、諏訪湖ホテルの屋上で初めて撮ったのだが、無料で上がって撮っているらしいアマチュアもたくさん居た。
 撮影は645で、55〜110ズーム使用。フイルムはRDP(フジ)。出品の7〜10号だと、この屋上からは55ミリでミチミチ。高く上がる10号では画面下部は入らないくらい。しかも無理をしても玉自体が小さく写ってしまうので、玉だけアップの方がいいかもしれない。終了後は機材を車に積んでから、午後9時30分から10時30分まで表彰式と出品者を交えたパーティに参加。夜遅くなって雨になり、打上中でなくて良かった。
 本番の花火はいまいちという感じだった。花火終了後に表彰式とパーティがあったのだが、出品者の花火師さんの一人が、「今年はちょっとレベルダウンだ」と話していた。毎年新作を出してくれ、と言われても厳しいらしい。確かに引き物と千輪物が多くて、本当は28業者28パターンあるはずなのに、どうもパッとしない印象だ。良かったのは篠原煙火、北日本花火興業、丸玉屋小勝煙火店、三遠煙火だった。ラストの名物水上スターマインも8月15日のそれとは印象が違ってやや暗めと感じたが、点火はスムースだった。
 花火の方の競技審査委員長は村井 一氏で、私が気に入った準優勝の篠原煙火の「たんぽぽの詩」(写真上)についてパーティ席上で感想を尋ねると、「綿毛の表現に音は要らないね」とバッサリ!うあ、綿毛は花雷で表現しているのに花雷に付き物の音を無くせとは、さすがに隅田川花火大会の審査でも辛口でならしているだけあって……。作者も苦笑せざるを得ないなぁ。私は製作者の篠原氏にもこの玉について伺った。私が知りたかったのは、丸く平に開くたんぽぽの花の部分について、どの向きが意図どおりなのか?だった。すると上を向いているのが良い、という答えだった(注:そしてこの写真を翌1995年度のカレンダーに使うのだが撮ったカットのうち上向きに咲いている1枚を選んだ=写真上)。
 翌日はスムースに帰る。信濃毎日新聞にこの日の講演と花火について小さな記事が載っていた。

 この大会をモチーフとした花火写真コンテストも同時に募集され、私は1ヶ月後の10月15〜16日、応募作の審査のために再び諏訪湖を訪れた。講演も初めてだったが、人様の応募写真作品を審査するのも初めてだった。審査は私一人では無かったが、審査委員長の立場だし、花火写真の専門家も私一人。結果として、私が率先して選んで決めなければいつまでも選考会は終わらないのだと察知した。
・明確な審査基準を示して、委員長としてリーダーシップをとらなければならない。
・最終的に私の決定が入賞を決めるので、私が明確に意志決定しなければならない。
などその後各地で花火写真コンテストの審査をやらせていただく上で基本となる心構えを色々と学ばせていただいたと感謝している。
 その日のうちに入賞者には通知され、翌日は表彰式だった。このスケジュールは既に告知されていたから、入賞者はもちろん応募者ならびに、過日の講演を聴講したであろう写真愛好家など大勢が集まっていた。石彫公園に近い湖畔には写真コンテストの応募作全てがズラリと大きなパネルに並べて展示されていた。壮観だった。表彰式に引き続き講評を述べるが、
・選考基準をはっきり言わなければならない。
・どうして入賞、あるいは選に漏れたかの明確な理由を(誰もが納得するように)はっきりしなければならない。とここでも多く学んだのだった。どれも力作で僅差の優劣になって選考はなかなか苦しかった。私もうかうかできないなぁ、と思ったのだった。
 湖畔の全応募作を、応募者たちと再び観てまわりながら乞われるままに寸評させていただいたのは、なんとも楽しい時間だった。そしてコンテスト類の発表の仕方としてはもこれはベストのスタイルだと思った。つまり入賞作を含めて全ての作品を全ての応募者や写真愛好家が一堂に観られるようにしてあること。人の作品を並べて比べて観られること、入賞作との差異やその完成度などが一緒に観られること、これがなんとも全てのコンテスト参加者にとってためになることだったのだ。
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