花火野郎の観覧日記2011

観覧日記その2 4/9
菟足神社例祭 風まつり
  
愛知県・豊川市小坂井町

 雨のせいで出かけるのを遅くした。東京都内でも桜の満開を迎える週。暖かい好天が続いていたのによりによって何で週末だけの雨?車で乗り付けられるならともかく、現地では雨とわかっていては夜の部開始まで待機できる屋内が無い。それで天気予報を見て雨が上がりそうな時間に到着するように出発する。しかし自宅周りは雨だったので、撮影機材などもカメラ一台三脚1本と最小限にした。予報では雨は上がっても風が強そうだ。しかしこの日はそれでも花火を観たい気分だった。
 現着は14時30分頃。あちこちで子供達が爆竹に興じているいつもの風まつりの光景。着いてみると途中の雨交じりでどんよりした天気が嘘のように晴れていた。駅から神社の脇を抜けて伊那街道151号線沿いのいつもの観覧場所に直行する。境内の桜は八分咲きといったところ。今年は風まつりと桜の最盛期がちょうど合致したわけで見頃を向かえていた。
 交差点の在る角地に新しく規模の大きいマクドナルドが出来ていて驚いた。しかも24時間営業。これで花火待ちにも荒天時にも観覧場所の直近で食事付きで逃げ込める場所ができたわけだ(さすがに隣の病院を使うのは気が引ける)。さらに手筒を最後まで観て電車が無くなってもコーヒー一杯で翌朝まで居られると。そうかうそうか。
 道路を挟んで見慣れた観覧場所にさしかかる。時間も遅いのでさぞかし三脚の壁が……と思ってみるとそれがまったく見あたらず、「まさか雨で翌日に順延になったのでは」と焦ったが、さらに進むと愛好家諸氏のものと思われる車が縦列駐車していてほっとした。恐らく雨だったので三脚群も退避させていたのかもしれない。
 昨年夜の部で話題になった10号ワイド一斉打ちの出し物が今回もあるらしい。打ち上げ目録を仲間からメール添付ファイルで送ってもらっていたので事前にどこから撮るか考えていた。
 そのワイドがきついだろうと、最初から151号線の北東側に向かってみる。しかしこの時点では筒の配置は不明だったのでだいたいの予測で見当をつける。ワイド設置に対してハスになるように離れれば多少はフレーミングが楽だろうと考えた。風向きの予報からいくと、そちらでは横風気味になってしまうのでどうするか?ロケハンしながら考えていると既着の愛好家諸氏とすれ違ったので挨拶と情報収集。私が冬場にさほど出かけていないせいもあって、皆さんとは久しぶりの顔合わせだ。
 北側のロケハン後、三脚が建ち並ぶいつもの辺りに向かうと、さらに各地からの愛好家が集まっていて挨拶や歓談となる。冬場はともかく、震災後の自粛ムード炸裂中とあって、春先の花火イベントの多くが中止や延期になった。そしてこれから先、初夏はもとより夏の本番時期の大会開催も例年通りにはいかないだろう。この風まつりが久しぶりの花火観覧の場であり、しばらくは見納めになってしまうかもしれない。愛好家なれば、誰しも同様の気分でここに参集しているのだと思う。話題はどうしても震災の安否から始まり、今後の花火大会開催への懸念に及ぶ。
 奉納している仲間などから、打ち上げ場所と筒の配置図を見せてもらう。6〜10号単発はだいたい例年通りの配置。気になっていた10号の千輪ワイド打ちは、小坂井高校の敷地の関係で一直線ではなくジグザグに5箇所の筒場がカシオペア座のように並んでいた。W字の開口部がちょうど神社境内の方を向くように斜めに配置されていた。奉納関係者の仲間に聞いてみたがわかっているのはこのワイド一斉で10発の10号千輪が用意されているということだけで、5箇所で5発一斉を2回なのか、2玉ずつ10発一斉に打つのかは出てみるまでわからないということだった。
 そのワイドに対して正面向きになる病院脇の観覧予定場所から実際に最大の24ミリの広角を付けてファインダー越しに見るとやはり相当の幅だった。縦位置では左右の端がギリギリ入るかどうかと言った具合。開花は収まるかもしれないがみちみちだった。
 歩道の脇に腰を下ろし歓談しながら昼の部の奉納花火を楽しむ。撮影も無しだ。その頃にはすっかり快晴となり、風も穏やかで良い花火日和になった。
 青空に映えて次々に咲く彩煙。昼花火の数々の音が錯綜し、時にリズミカルに時にせめぎ合って響き渡る。愛顧家仲間と共に花火の音に包まれる、なんとものどかで、のんびりとしたひとときだ。花火はいい。あらためてそう思う。平和で穏やかに時間が過ぎていく。それが例年どおりの日常であり、まるでこのひと月の間に何事も無かったかのように。
 夕刻にはワイド列に真向かう形で観覧場所を決める。最大幅で受けて立とうじゃないか。北東側のハス位置狙いも良さそうだが、駅からの距離がもう6〜700メートル嵩んでしまうのが難点。帰りの電車の時刻が決まっているので近い目の選択にした。昨夜来の雨のせいか少し緩くなった田圃の端に三脚を立て夜の部の準備。昼の部の最中は一般の観覧客が鈴なりだったが、それが終わるとともに辺りには背景の花火だけを楽しむ愛好家諸氏の姿だけとなる。祭り観客の多くは神社境内の手筒花火奉納見物か、名物の建物花火を望む一角に集まっていることだろう。
   

追悼花火
昇曲導付八重芯紅牡丹

追悼花火
昇曲導付八重芯紫牡丹

追悼花火 合打ち
紅芯錦かむろ菊
緑牡丹、さざ波牡丹

飛組 10号同時打揚
昇り銀竜付彩色千輪菊

10号・昇小花付
八重芯菊先橙銀光露

10号・昇り乱玉付
三重芯錦冠先降雪

10号・昇小花付
五重芯菊先黄金光露

風まつり 益々の発展を!
20号・昇天銀竜
八重芯菊先四度変化

8号・投入小花付八重芯紅牡丹

8号・投入小花付八重芯白牡丹
    
 19時にスタートするも日帰り組の私は20時過ぎ小坂井駅発の電車に乗らないと帰りつけないので、滞り無く進行するかが気がかりだ。
 被災地に先駆けて?夏の花火大会を早々に自粛してしまったところもある。それを追随する大会が後をたたない中で予定通りに開催された風まつり。しかしけっしてこの大災を無視しているわけではない。夜のゴールデンシリーズには「がんばろう日本」と被災地を励ます仕掛けが組まれ、被災地に向けて、避難された方々には応援を、犠牲になられた方々には鎮魂の想いを込めた出し物が企画されていることが嬉しい。
 夜の部最初の単発玉が正面で上がる。爆心の一塊りになった煙が、開花の残映の真後ろに流れていく。予報の風向きとは違って北北西だったし風も穏やかだった。
 順風だ、とつぶやくと、仲間も応える。こんな晩は冠系を綺麗に撮るに相応しい。果たして幾度か登場した錦冠は、煌めく引きが一糸乱れず真下に落ちる素晴らしい光景。いや冠のみならず、普通の割物は全て丸く美しいフォルムで開く。日本の花火の真髄を味わえる。
 しかし進行は滞り無いどころか、打ち上げが始まるとなかなかに早いピッチで進むのだった。カメラ1台だから折り込み済のリスクとはいえ、ぐ……これでは……。レンズ交換がかなり厳しい。6〜8〜10号は35ミリ。20号は28ミリ。10号ワイドは24ミリと画角の違う3本をプログラムに合わせて換えるべく段取りを考えていたが結構無理そう。ピッチが早いと交換中で撮影できない玉があると考え、予めいくつか逃すのは仕方ないと思っていた。逆に仲間が奉納している玉と、20号、10号ワイドと最低限それだけ撮れれば良いと割り切っていた。
 今日の装備はフイルムのカメラ1台だが、デジタルカメラ全盛となった昨今、使用するフイルムもこの4月から1本あたり10パーセントの値上げとなった。現像込みの1カットあたりの単価は70円ほどとなるが数を打てば痛い。
 今回はいつもより若干出し物が多い。途中で立派な追悼花火が挟まれているためだ。追悼の名目での打ち上げは毎年少なからず挟まるけれどもっと大がかりだ。これは小坂井の生き字引的存在で、風まつりに運営はもちろん、煙火にも通じ長年貢献されてきた原田 保氏を偲ぶ打ち上げという。
 この出し物では前半10号の単発打ち。後半は「合打ち」として芯入錦冠に3、4号単発6発が同時に上がる打ち上げ方法だった。同時にというよりは本体から若干遅れて続き玉が上がり同時に開くような、添え花的な打ち上げ。
 例年どおり枠仕掛けにスターマイン裏打ちの出し物もいくつか挟まり、遅滞なく進行していく。裏打ちは向かって真横方向になるので見ているだけになる。
 10号の単発が続くその最中に5箇所からの10号一斉が挟まるから、その直前で素早く相応しい画角のレンズに交換。うまく間に合ってワイド方面にカメラを向け直して一瞬を待つ。と、ドドドッと発射音がほぼ一斉に聞こえたが、なんと曲導は真ん中から1本だけ。5箇所から5本の曲が昇るかと思っていたが予想に反した面妖さだ。しかし開花までの間に瞬時に意図を察した。境内から見て、一箇所から打ったように見せて実は、というサプライズ仕立てなのだ。そして眼前に一斉に小花が乱舞する至福の一瞬。10発の10号千輪は一度に全てが放たれた。観た感じでは幅の拡がりはともかくは高さはそれほどなかったので横位置で収まったんじゃないかと……。
 酔いしれている間もなくまた間を開けずに10号単発が続く。ここで段取りを飛ばして20号用のレンズにして交換回数を減らして残りを撮る。20号は私が知る限りかつては農道に設置していたが、より高く、境内からよく見えるようにと今回は一段高い堤防道路の上に筒が置かれているらしい。間合いは500メートルちょっとだろうか。置き場所は図面で確認したけれどちょうど小坂井高校の校舎か体育館の陰になってしまうので、私の居る位置からは昼間でも筒は視認できていない。だからだいたいの方向に合わせて出て(射出)からカメラ向きを微調整と備えていた。20号は菊先四度変化と凝った親星も明るく存在感の在る開花だった。
 なにやらアッという間に打ち上げが進行し、プログラムを読み飛ばしたかと錯覚するほどに久しぶりの観覧は時間が速く過ぎていた。切りの良いところになって40分経過。失礼ながら愛好家氏への挨拶もそこそこに駅に向かう。ドーンという手筒のハネの音を遠雷のように聴きながら境内脇を抜けて駅まで10分もかからない。無事に予定通りの帰路を辿ることができた。
    
 震災以来自分が直接被災したわけではないのに、日常を見失いかけていた。震災直後からメディアは四六時中、これでもかと悲惨な状況を流し続け。同じCMを繰り返し、頭を切り換える暇もない。そして現在進行形の原発事故に至っては、被災から復興への切り替わり時を失わせるに十分だ。一度きりの震災以上の絶え間ない害悪を放ち続けているからだ。思わず映像や事象に引き込まれ自分の震災の日それまでの日常を見失い、果てしなく停滞した心にとらわれるのは人として仕方ない事なのだろう。
 目から入る情報だけではなく放射能汚染による水不足懸念やら買い占めによる品不足。おまけに計画停電もしっかりローテーションで喰らっては、暗澹たる気持ちにならない方がおかしい。利用している電車は停電からみでまともに走らず、仕事の行き帰りも普段の何倍も疲れる。最寄り駅に帰ってみれば一帯は計画停電中だったりと帰宅しても真っ暗闇。一体全体これがいつまで続くのやら。それだから自分自身も花火どころじゃない気分になっていった。
 この日は、元気と私の日常が戻ってきた気がした。久しぶりに花火らしい花火打ち上げを見たこと。いつもの愛好家諸氏や花火師の方々と歓談できたこと。それが私の日常を戻してくれた気がして感謝した。

花火を打ち上げて祈り、日常を取り戻そう。と自分自身につぶやいてみる。

イベントや祭り、個人の旅行や消費にまで自粛ムードが溢れている。
花火開催も主催者とお金だけで開催できるわけじゃないし、やる気があっても中止や自主的見合わせの要請もあるだろう。
被災地の現状や、収束の見えない最悪の原発事故を日々目の当たりにするに、
どうしても目立ったことは取りやめよう。という控えた考えや行動より先に、
「そんな気分じゃない」と気持ちが抑鬱されてしまうだろうか。
被災者が困っている、犠牲者や行方不明者が多数居るのに祭りや花火など浮かれた気分の催しはとんでもないというのだろうか。
確かに、花火大会や花火イベントは一般的にハレの日の行事である。
しかし各地の歴史ある花火大会の始まりの起源には、元来、地震や洪水の犠牲者、戦争による戦没者など
望まずして亡くなった人々への鎮魂、慰霊、追悼などの意味あいが多いのだ。
お祭り騒ぎの花火大会が空気にそぐわないと言うのなら、祈りの花を天(そら)に供え、そっと手を合わせる。その意味でならどうだろう?
多くの被災者の周りにはかつての家族も友も居ないかも知れない、欠けているかも知れない。
哀しみは強く、絶望も深いに違いない、それは花火では容易には癒されないだろう。
まずは偲ぼう。思いを馳せよう。あの日花火を共に観た時間がなによりかけがえのないひとときであったと、
感謝しよう亡き人々に。手向けよう花火の大輪を。

それにしても犠牲になった方、行方不明者が多すぎる。鎮魂に花火を捧げるにも数万発単位のそれが必要だ。
花火大会を止めないで欲しい。花火で元気づけよう、などというつもりはない。花火で元気づくのは愛好家くらいだ。
だから願わくば復興気分を盛り上げるためではなく、まずは追悼の花火を上げようではないか。
それは同時に導べとなるだろう。平和で半ば太平楽に花火を見上げていた日々は、花火の在る日の活況と賑わいは、取り戻すべき復興の到達点ではないか?
花火は平和で平穏な日常の象徴だ。花火が打ち上げられる世の中は、そうした日々の中に目だたず在る。
花火を打ち上げるにも楽しむにも、平穏な世と心と経済的なゆとりの上にそれがある。

花火と花火大会を絶やしてはいけない。今こそ花火を観ていた日常を取り戻そう。
花火大会のある光景を取り戻そう。
面倒で金のかかる花火大会を止めてしまうにはまたとない好機と、自粛に便乗するような空気もある。
しかしそれはかつて手にしていた日常をより遠ざけてしまう。
花火を再び打ち上げられ、それを楽しめる町と暮らしとコミュニティを取り戻そう。
花火は平穏な日常の姿そのものだ。花火の否定は平穏な日常の否定。
 
花火を観ていた平穏で幸せな日常を、震災前の普通の暮らしを取り戻そう。
花火はきっとそんなきっかけを与えてくれるはずだ。
花火を観よう、心に咲く花火が思いおこされるだろう。それはかつての日常が刻んだ記憶だ。
消えてしまったあの町には花火が在った。あの港や海岸にも花火大会の夏が在った。
新しい町を、新しい仲間を、家族との絆を再確認し、立ち上がりあの日を取り戻そう。そして再び花火を見上げたい。
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