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発行   サークル花火万華鏡
編集同人 川上信定 武藤輝彦      
     矢野誠一 奥村 純   
     小野里公成 松田尚大
発行所  〒201-0003 東京都狛江市
     和泉本町2-34-4 武藤輝彦内
定価   年4回発行
     1500円(送料共)
郵便振替 00130-9-663056

花火万華鏡第23号(2001/10/10発行)より一部の記事をご覧になれます。

●FRONT PAGE
 イッチョさんの思い出 -半藤一利
●連載
 
花火いのち(23)浴衣6割 -川上信定
 割物について(4) -清水武夫
 群馬県たまむら町夏まつり花火大会 -奥村 純
●NEWS TOPICS
 
大臣賞オンパレード大曲コンクール
 豊橋で第2回花火サミット開催
 各地競技花火大会成績表
●考察
 明石の死亡事故に思う… -武藤輝彦
 花火万華鏡
●寄稿

 問屋通信 -山縣常浩
●研究

 玉屋の前に玉屋があった(2) -武藤輝彦
 ミサイルロケット物語
●COLUMN
 
 謎の数字
 質問箱
 若い花火師の夢 -金沢克昌 
●サークル紹介

 三河伝統手筒花火連合会
●編集後記

連載・SERIES

花火いのち(23)浴衣6割 川上信定
 
 ここ2、3年の情報誌の功罪の功の部分に「花火大会での浴衣の普及」がある。10代半ばから20代初めの女性の間に爆発的に流行している。その感覚、例のルーズソックスと変わるところがないのはちょっと残念だが、それでも伝続がプッツリと途絶えてしまうよりはよっぽどいい。
 むろん、10年前、20年前とて浴衣姿の女の子は一定比率でいた。花火や地元の祭りでいうと2〜3割ぐらいだったか。それが、ここ2〜3年、感じとして6〜7割になった。エージ雑誌を含む女性誌と情報誌が意識的に仕掛け、ヤングギャルはそれに喜々として乗ったのである。
 8月1日、昼過ぎに渋谷に用事があった私は、浴衣姿の3、4人連れが次々に桜木町行き特急に乗り込むのを見て「あっ助かった」と呟いた。この日が横浜・神奈川新聞花火大会であるのを失念していて、用が済んだら渋谷で旗せく友人を呼びだして一献しようと考えていたからである。
 同じことが、3日後の4日にもあった。その日、横浜の都筑区と川崎市の古書店巡りをしていた私は、買い漁った本を抱えてバスで向ヶ丘遊園駅に出た。南武線溝の口駅経由でいっぺん帰宅して、着替えてから板橋・戸田花火大会に出かけるつもりだった。
 向ヶ丘遊園の駅には浴衣軍団が何グループもいて、三々五々、下り電車に乗って行く。あれ、ひょっとすると……私は駅の表示を確かめ、厚木の鮎まつり花火大会当口であることを知った。20年近くご無沙汰している。とっさに往復乗車券を求め、さらに特急券を買って厚木へ向かった。
 結論からいうと、厚木の花火大会はぞんざいな玉が多く、内容的には失望した。ただし、人出の多さには真底驚いた。30万〜40万人は出たのではないか。
 一一一で、今年の観察レポートである。「カップルで花火」の風潮はますますま浸透し、高校生以上ともなると同性だけで出かけるのが恥ずかしくなるのではないかと思えるほど。加えて「ケータイ」の異常なまでの普及。おそらく所持率は9割を超えるだろう。
 カップルなら、打ち上げ開始まで仲良く語り合えばよいものを、それぞれが「ケータイ」仲間と話したりメールのやりとりをしている。
 5、6年前、江戸川の大会に同行した年少の友人の「ケータイ(PHSだったかも)」が電波の反乱でかからなくなったことがあったが、今は大丈夫なのだろうか。
 花火大会という場と機会を口実にしてのデートとコミュニケーション。それはそれでよいと思うのだが、肝腎の会話は花火そのものとは全く関係のないのが傍で聞いていて寂しい気がする。岩手・都南の大会で小松さんがやっているように、種類別の紹介打揚げコーナーをやらない限り、人出はふえても鑑賞は、上の空という事態がどんどん進みそうな気配だ。
 
サークル同人・新刊「花火大会に行こう」著者
割物ついて(4) -清水武夫(工学樽士)

 割物をつくるときの危険点については前号で少しふれたが、更に大切な間題について述べる。割物を手で持ち上げてみると、ずしりと重い感じがする。結局それは玉全体が一つの火薬の固まりのようなものだからである。従ってそれが万一室内で爆発するとその災害も大きい。従って割物の組立作業は作業者一人と助手一人とせいぜい2名で行うのが良い。このような基本的なことが案外守られていないのではないか。一つの部屋に大勢が集って行う作業であってはならない。
 花火の芸術性は星の色や光の強弱の対比効果を構図によってきまる。割物はこの設計に最大の苦心と力闘が必要である。またこのような経験を積むことによって、自分の思うような花火をつくることが出来るようになる。
 花火の光で現在我々が普通に得られるものには英語のアルファベットの数だけ(すなわち24種)だけある。この中には昼花火の煙も数に入っている。花火の星の変化はこれ等の光源の時間的な、また空間的な同時対比効果が、さまざまな印象、感じを与えることになる。専門家の方々はぜひこの点を平素から検討していただきた、度々この考え方は割物以外にも一般原則として応用出来るはずである。

時間的な対比の例
 暗より明へ=炭の光から明るい紅、費、緑、これはごく普通に用いられているもので一般に星への着火剤で、普通に見られる時間的な対比である。
 また寒より暖へ=青の光から紅の光へなどがあろう。
空間的な対比の例
 黄金の花弁の中に青の芯、例えば錦のなかに青の芯。
 一方において人の眼の感覚は、ある光を遠くで見た場合と近くのそれとはかなりの差があるようである。最近、とく中間色、例えば桃色とか赤紫色とか工夫されているようであるが地上での実験だけで配合を決めるわけには行かない。必ず空へ打上げてみないとわからない。地上で見た色と天空のそれとはかなり違っているからである。中間色では特にこういった点がむずかしい。また人によって差はあるようであるが、ある線の波長に対する色盲が誰にでもあるということである。
 花火の色配合剤は早くから発達したものであるが、今日の色火剤と違って硫黄を含むものであった。今日の火工品でも特殊な用途には用いられている。歴史的な配合の例をあげると次表のようなものがある。(FEUER-WERKERI,1898年、VERLAG VON SEEMANN & Co,LEIPZIG)

往時の色火配合表(重量比)(1898年)
原料 赤 炎 黄 炎 緑 炎 紫 炎 紫赤炎 白 炎
塩素酸カリウム   5 9 14 15  
硝酸カリウム           4
硝酸バリウム     21      
硝酸ストロンチウム 40     5 15  
硫黄 13 16 7 6   1
三流化アンチモン   4       1
セラック         5  
カラメル       4 14  
木炭微粉 2 1        
修酸ナトリウム   48        
硫化銅       6 1  
 炎の温度をかなり上げないとなかなかその色が出ないのであるが、以上の表で見られるように、硫黄またはその化合物がその役目を果たしていたように思われる。これ等の物質は有害なS02ガスを発生するので現在では殆ど用いられていない。
群馬県たまむら町夏まつり花火大会
by 花火愛好家・奥村 純
 
 群馬県玉村町という失礼ながら聞いた事のない町で、すごい花火大会が開催されている、という噂が平成6年から花火愛好家の間で流れ始めた。何しろ、菊屋小幡煙火店が四重芯菊を上げたようだとの事。
 とは言え、玉村町、地図で見ると、群馬県南部で、鉄道の駅があるわけでもなく、人口は37,000人で町としては多いが、このような町でまともな花火大会が開催出来るのか半信半疑であった。
 そして、翌年実際に見学してきた愛好家から、本当にすごい大会であるとの話を聞き、詳細に調査を始めた、JR高崎線の新町駅から約5Km離れ、花火大会開始が19時50分という事がわかった。これなら勤務が終了してからでも花火開始時刻までに、なんとか会場にたどり着けそうである。
 筆者が最初に見学したのは平成10年で、それ以降すべて見学してきた。

1. 四重芯菊

 当大会では平成6年以降、毎年1発ずつ四重芯菊を上げている。
 因に、平成13年の大曲全国花火競技大会において、四重芯菊を出品したのは4社であるが、一番最初に上がったのは平成6年で、皆様御存知のように菊屋小幡煙火店であった。
 三重芯菊以上の多重芯については、人間の視覚的な面から、無意味であるとの批判的な考えがある。
 しかし、10号三重芯菊で高品質なのは、花火愛好家ばかりでなく一般の見学者でもその素暗しさを実感している。さらに、7号三重芯菊で出来の良い玉についても、十分芯の区別が可能であり、その華麗さを堪能出来たのである。
 そして、その大きさ等から、10号四重芯菊についても確実に開花し芯の区別がしっかりしていれば、その豪華さを体感出来る、と筆者は考える。とは言え、花火製作に素人の筆者でも次の事が、理解出来る。四重に芯を入れるため、割薬がその分減じてしまうため、盆が小さくなるだろう。芯と芯の間の割薬がどうしても薄くなるため、開花時に芯が均等に開かず混じってしまうのでないか、等々。
 それらを克服すべく小幡清英氏は試行錯誤を繰り返し、四重芯菊を製作し、上げて来たのである。
 ここ数年、筆者が各地の大会で見学して来た限りに於いても、四重芯菊がしっかりと見えたのは数発しかなかった。しかもその四重芯が見えたのは「瞬間」であり、小幡清英氏自身も満足出来なかったと思われる。
 平成12年には最外芯が大きく開くようになり、芯と芯の間が取れるようになったが、四重芯が確実にしっかりと識別出来る玉はまだ少ないのが現実である。同氏は星の色、明るさについても五重がはっきりと出現するよう、種々検討し、毎年試行錯誤を繰り返して、完全な四重芯菊の完成をめざしているのである。
 その中で、過日、無理を承知で小幡清英氏に懇願し、やっとの事で四重芯菊の詰め込み作業の一部を、愛好家3人で拝見する機会を得た。花火製作について素人の我々には、詳しくはわからなかったが、その作業は、ピンセットやヘラ等を使用した、凡そ経済原則と乖離した、細かい根気と時間のかかる仕事であった。なんで、こんなに苦労してまで製作しているのか、そこに花火家、小幡清英氏の花火へのこだわりを感じたのであった、
 その姿は、四重芯菊に挑戦する花火家が小幡清英氏一人の時より、現在のように何人かが出て来た事により、四重芯菊の元祖としての意地が感じられるのである
 四重恋菊の完成へ向けて、心から声援をお送りしたい。

2.スターマイン

 平成11年以来、毎年スターマインは10台上がっている。その内6台は、2カ所から10カ所のワイドスターマインである。打ち上げを担当している、菊屋小幡煙火店のスターマインは、大曲全国花火競技大会を無年見学されている方はご存知のように、毎年極めて正確なタイミングで特別製作の各種花火を上げ続けており、毎年優勝候補の筆頭である。
 当大会でも各種花火を色々使ったスターマインが登場している。例えば、毎年椰子のスターマインが上がっているが、3カ所乃至4カ所から打ち上げられ、バリ椰子へと変化し、その後彩色千輪菊等を上げた後、錦冠菊一斉で終わっている。
 平成13年には、パステルカラーばかりの満星のスターマインが登場している。
 毎年打ち上げられている、10号10発錦冠菊一斉にしても巾300mに渡って筒を配置し、平成11年、12年で花雷浮模様が入っていたし、平成13年では青小花浮模様を入れ、錦冠菊をより引き立たせる技に、脱帽せざるを得ない。
 最後の。スターマインは、2カ所、5カ所、3カ所等というように打ち上げか所数を変え、芯入り牡丹、ステンド牡丹、クロセット、斜打ち等々の花火を数分間にわたり打ち上げ続いた後、10から一斉に、4、5、7、10号銀冠菊を発射し、圧倒的な迫力をもって、当大会を終わらせている。その素晴らしさに筆者を合めた全ての観客が、自然と借しみない拍手をしているのである。このスターマインは当大会の名物となっている。

3. 打ち上げ

 4号、5号早打ち、そしてスターマインを除いて、7号30発、10号13発を毎年上げている。4号5号の早打ち、最初は1カ所のみであるが、途中より2カ所から4号セット済の早打ち、さらに両端から3号4号、中央から5号という様に3カ所から打ち上げるプログラムもある。当然の事ながら、2カ所3カ所からの早打ちは、両側あるいは3カ所の花火を揃えており、それぞれの花火が生きて来るように工夫されている。4号5号とは言え、色鮮やかで、正確に開花している。
 10号は四重芯菊は当然として、小割浮模様、花びら芯変化菊、芯入千輪菊等、そして八重芯菊、三重芯菊も上がっている。平成11年、13年に上がった三重芯菊は極めて高品質な玉であった。菊屋小幡煙火店は大曲、土浦、八代等で四重芯菊ばかり上げているため、かえって三重芯菊が珍しくなっているのである。
 そして、7号10号共連続で上がる時、正確に同じ高度で開花しており、それらが精密な作りである事を証明している。

4. まとめ

 規模的には、各地で開催されている納涼花火大会より少し大きいぐらいであろう。
 開催時間は50分間と、時代に合わせて長くなく、適切である。プログラムは起承転結を付け、見学者を飽きさせないように色々と工夫されている。2カ所。3カ所からの早打ち、ワイドスターマイン、10カ所からの錦冠菊一斉打ち、最後の大スターマイン、四重芯菊を初めとする10号、と見所満載の花火大会である。
 すごい花火大会の意味は、四重芯菊が上がっているばかりでなく、スターマイン、打ち上げ共、菊屋小幡煙火店が誠心誠意工夫を凝らし、極めて良く練られた企画の基に、高品質な花火を上げているため、「すごい」という言葉が付いていたのである。
 大曲や豊田おいでんのように異常な場所取り競争があるわけでなく、開始の直前に開場へ来れば楽に席が取れる。自宅あるいは会場で、家族揃ってゆったりと花火を見学するという、ほのぽのとした光景が、あちこちで見られ、心洗われる思いである。玉村町の人々にとって、花火とはこれが当たり前だと思っているかも知れないが、他の花火大会を見学する機会があれば、その時に改めて当大会の素暗しさを認識するであろう。
 群馬県内でも、入札方式で安い花火業者へ花火大会を発注する、市や町が出て来ていると聞く。確かに花火について何も理解出来ない主催者や役人にとって、住民あるいは議員から、花火ごときで文句を言われては適わないので、とにかく安い業者へ発注してしまうのだろう。そして、このような業者が良心的でまともな花火大会を開催出来ないのは当然で、これまでの事実がそれを証明している。その中で、当大会のような素暗しい花火を上げている菊屋小幡煙火店へ感謝を申し上げたい。町の規模から、花火への予算が潤沢にあるとは思われない中で、主催の玉村町ふるさとまつり実行委員会、そして花火担当の菊屋小幡煙火店とが一体となり、このような内容の非常に濃い花火大会を実施している事をうらやましく思うと共に、今後も益々盛大に開催される事を期待したい。
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CONSIDERATION-考察

明石の死亡事故に思う… -武藤輝彦
 
 今年のシーズンは思いがけない事故ではじまった。
 7月21日兵庫県明石の花火大会は終了後の雑踏によって死傷者を出してしまった、死者11名、負傷者222名。会場である海岸と市内を結ぶ新造の陸橋で起こった事故であった。
 花火大会での観客に及ぽす事故として思い出すのは橋の倒壊である。一つは東京は隅田川の川開き。二つは新潟信濃川万代橋の死傷者30名を出した終戦直後の事故だった。
 
 隅田川明治30年(1897)の両国橋の事故
 
 主催者柳橋組合が発行している柳橋花街年譜第4号には組合の世話人加藤藤吉さんの手で次のように書かれている。
 この年(明治30年)の川開きは雨天のために再三延期をした末の突発事故であった。
 八月七日両国川開雨天のため延期す。
 八月八日両国川開また雨天にて延期。
 八月十日両国川開またまた延期す。
 八月十一一日再三延期を電ねたる川開きの花火開催す。
 橋の上下の花火は鍵屋が受け持つ番組は川開万歳、近江八景、宝づくし、納涼の夕、四方吹四つ花車、東京名所、六方吹火車、立田川、花見車、獅子の遊び等なり。船相場は大伝馬三円、伝馬二円五十銭、尾形船五円、尾根船二円五十銭、荷足一円二十銭。また中村楼は二重折詰弁当花見料とも一円にて一般の客を迎える。午後八時三十分ごろ下手中村楼前の仕掛花火開始とともに両国橋上の群集は急に南側へ集ったため、二、三年以来手入れだけであった橋の欄干は重圧に堪へられず広小路寄り十二、三間のところより四間半川中に没落し百余名が川刺こ投げ山され大滉乱を極めたが、雑踏の割合いに被害少なく、当夜発見の水死者二名、その他後日に一、二の水死体ありしが、身元不明にて果たして当夜の犠牲者であるや判明せずに終わる。煙火はために中止となる。八月十四日柳橋花街は両国犠牲者のため今夕川施餓鬼を行う、遊船宿、積荷間屋より伝馬船六艘の寄付中出あり、千葉県日蓮宗茨木上人の導師にて執行溺死者二名の遺族に金五円づつの香典を贈りたり。
 当時の物価は「そば1銭8厘、理髪料8銭」の時代。犠牲者に5円の香典で事が済んだ訳である。く註>編者加藤藤吉氏は両国川開きの絵ビラ、「大花火7月何口雨天順延」の墨痕鮮やかなポスターを毎年数千枚揮豪しておられた柳橋組含の主といわれた方であった。
 
新潟昭和23年(1948)の万代橋の事故
 
 敗戦でGHQから火薬類の製造が全面禁止された指令が8月1日に解除された年のこと。全国的に昔から開催されていた大花火が復活した早々の出来事であつた。
 8月23日午後9時30分頃250m下流で打上げられたスターマインを見ようと橋上の見物が移動したため、西側の三つ目の橋桁から約33メートル余の頑丈なはずの鉄筋入りの欄干がすさまじい音と共に“あっ”という間にくずれ、百余名の見物客が投げ出された。懸命な救助を行ったが30余名の犠牲者を出した。現場は水深2m余、時速2マイルの水流であったが、見物を乗せた数多くの船がひしめき救助は容易ではなかった。云々……。
 と朝日新聞東京版は書いている。当時は用紙不足で大新聞も朝刊2頁しか発行出来ず、3日目以降には詳報も見られない時代であった。敗戦直後の事件として、現在程のセンセイションが起きなかった。
警察は何もしなかった?
 今回の明石の場合は、橋でも陸橋。まだ出来たばかりで、10万余の観客に対応する経験がなかった。この正月にも同じ場所で「世紀越イベント」を開催し、5万5千の観客を集めたが、花火打揚げ後にもステージを続け、一度に帰宅を集中しない状況であったという。349名の警察官が動員され、陸橋付近にも36人が配備されていたといわれる。讐察が適切な処置を行わず“見殺し”にしたといわれるのは誠に残念である。
 私は各地の花火大会におもむいて、いろいろと終了後の雑踏を経験している。秋田の大曲大会などは道路事情が開発されていないためか、終了後約1時間余、白動車が全く動かないという渋滞を起こすことを常とした。
 この間に、警察が積極的な施策を講じて、少しでも早く円滑に渋滞を解消する努力をしていると感じたことはない。成り行きにまかせ、ドライバー達が如何に困惑しても仕方がない。メーファーズ。これでは全く無為と断じたい程であった。
 また逆に東京隅田川の場含は、予想される事故を皆無にするため、川端になるべく観客を入れさせない為の通行制限を行い、橋の欄十に沿って丈夫な防護柵(馬)を置き、橋を渡るものは一刻も滞まることを許さず「歩け歩け」を強要している。多数の観客にゆっくり落着いて花火を鑑賞する道を閉ざしている訳で誠に残念千萬である。もっと大衆の為を考えることは出来ないのか、被害妄想も程々といいたくなる。
 消極的に動くことも突発的なトラブルを生まない道。積極的に対処することが必ずしも善ではない。しかし今回の明石警察の無為は全くいただけないことであった。
〈駄足〉私はかつてカナダのバンクーバーの夏の行事=シーフェスティバルの花火打揚に行ったことがあった。毎夏、打揚船の周囲を沢山のヨットが蝟集して汽笛をピィピィ鳴らして歓声をあげる。打揚船に近づき保安距離など考えられない。そこで警備に当たっている水上警察のランチに遠ざけるように懇願することになる。しかしお巡りさんの答えは「危険だから退避せよとすでに警告を与えている。それにもかかわらず近づくのは、自分の意志である。責任は警告を破った本人の責任。気にせず予定通り実施してよい」というのが常であった。打揚げだけでなく水中花火をボートから落とすプログラムも強行したものであった。
〈駄足の駄足〉花火大会の翌日の夕刊には「花火の夜酒によって海に落ち死亡した男がいた。何某。何弋。」という記事が恒例のようにあったものである。(武藤輝彦)
COLUMN 

若い花火師の夢 茨城 金澤克昌(金沢煙火工場)
 
「美しい花火を作りたい。」花火師なら誰でも思うことです。派手で・明かるく・豪華で・大きな花火、これでもか、これでもかと一気に見せつけてくる迫力満点のスターマイン、そんな花火が一般に高い評価を得ています。確かにきれいですし、高い技術のいる仕事だと思います。
 わたしは、花火を作っている時、心の隅に「消えるものを作っている」と云う意識を感じます。最近、それは、無常観と云うものかとぽんやり考えています。
 花火作りは、孤独で根気の要る仕事の連続です。手間と暇をかけ、やっと一一つ一つの製品が仕上がって行きます。そして、それらの製品を一瞬にして消して行く、それが仕事です。その消し去る一瞬の中に何を表現するのか、どんな思いを込めるのか。
 そこに、それぞれの花火師の価値観や美意識の違いを見ることができます。
 私は、幽玄に代表される、「たおやかな、やさしさ」や、また、その発展として形成された簡素な「寂」、一切の装飾を排除し、必要最低限のもののみを残した簡素・静寂のうちに精神の清純さを求める「侘び」の世界にひかれるものを感じます。
 また、紫式部は、その著書「源氏物語」の中で「いと、あはれなり」とか「あはれざりけり」と云う表現を良く使っています。しみじみと情趣が深い、やさしく優美だと言う意味ですが、この「あはれ」と云う言葉にもなにか心を動かされるものを感じます。
 秀吉が作った京都、醍醐寺・三宝院の庭は、花々が咲き競い、派手で確かに美しい庭でしょう。しかし、私は京都ならあえて竜安寺のような禅寺の庭を好みます。そこには、石と白砂しかありません。しかし、目に見えない川を見、聞こえるはずの無い水の音、木々のささやきを聞くことができるのです。
 このような考え方や私の感性を花火と云う媒体を通して表現できれば、まさに夢のようだと思うのです。
 私達は、花火と云う消えるものを作っていますが、人間もまた消えるために生まれてきていると云えるのではないでしょうか。この地球から北極星まで800光年と云う距離があります。今夜見える北極星の光は鎌倉時代に北極星から放たれた光であると云う宇宙的な空間や時間の流れで見れば、人間の一生もまた、一瞬です。私が作り、消し去って行く一瞬の花火の中に、白分の人生を重ね合わせ物思うことのできる人が一人でもいれば、私はそれで満足です。
編集後記・FROM EDITORS

★世界一のノッポビルが崩壊する・…・・驚天動地の惨事を眼にした。ダイナマイト爆破と同様な動き。瓦礫の下から犠牲者をなかなか発見できない。火薬以上の力が生まれた訳で、やった本人達も予想しなかったこと。しかしこれ以上無辜(むこ)の犠牲者は出したくないものである。
★日本で最初に花火を奉納したといわれる豊橋でサミットが開かれる……誠に意味深い。伝統花火が益々健全な発展をするためにも、連帯は必要だろう。毎年各地をもち廻る為には、有力なスポンサーを探したい。歴史というものは、敗者のことは消される。豊臣の例を見るまでもなく史実の乏しい花火の世界では勝者の独裁が著しいようだ。“玉屋の前に玉屋があった”……いろいろなストーリーが考えられる。多くのご意見を伺いたい。
 
T.M生
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