長野閉会式花火の私的考察
―フィナーレ花火が残したもの
 長野閉会式花火「春夏秋冬」は大変な反響となりました。もちろん反省点もあったでしょうし、良い評価ばかりではなかったでしょう。それでも反響の多くは「こんなに凄いなら見に行けば良かった」というもので、長野をはじめとする煙火業者のもとにも、
「素晴らしい」、「閉会式のような打ち上げをやってくれ」などといった主旨で、様々な花火大会の主催者からも反響や引き合いがあったようです。
 閉会式の花火はあらゆる意味で「特別」で、それをそのまま各地の夏の納涼花火大会やイベントで再現したり、取り入れたりできるものではないと思います。その理由については後で書きますが、ともかく閉会式花火を観た各地の主催者や煙火業者の中には、新鮮な何かを感じた方がいたことは確かでしょう。
 たった8分間(それでも長すぎるという意見もあるようですが)で終わりという簡潔さと、その間5000発という密度の高さも新鮮であったでしょう。しかもそれを複数箇所で同時に打ち上げ、テーマ性を相乗効果で表現すること。なにより一幕のショーともいえる場面展開。いや、実はこうした打ち上げが目新しいわけではありません。各地にこうした密度の高い、ワイドな打ち上げプログラムはあるのですが、単に全国放送で目の当たりにする機会がないだけです。オリンピックだからこその集中度でテレビに注目したからこそ観ることが出来た、ともいえます。その意味で「閉会式中継」は、現在は夏の最盛期でも存在しない、全国放送の「花火打ち上げ実況中継」であったことも大きな影響を与えました。
 ひるがえって各地の花火大会を見れば、マンネリ化した納涼花火を意欲的な主催者は、なんとか打破したいと感じている中で、相変わらず消化試合のような花火大会行事もあるのです。ダラダラとスポンサー名を読み上げ、やっとポツポツ打ち上げてはまたスポンサー名を読み上げる。といったような。メリハリや特色のない定例化した花火大会。全国放送された閉会式花火はそれが「特殊な場合」であったにもかかわらず、各地の「地元の花火しか見たことのない」多くの視聴者や主催者の目には斬新に写ったことでしょう。
 それではこの「閉会式のような」花火を同規模で他所で実現出来るのでしょうか?閉会式花火と同程度になる条件を、簡単には取り入れられない理由としていくつかあげてみましょう。
 まず予算。閉会式の花火では5000発として、だいたい同程度の実打ち上げ数の夏の納涼花火大会を、1時間開催できるくらいの実費用がかかっているとされています(実際に業者に支払われた花火の金額ではない)。8分間だけのイベントにしても、この規模の打ち上げを1時間程度の花火大会の一部に組み込むにしても、不況と叫ばれる中ではたして実現可能なのでしょうか?花火大会を8分でだけで終わりにするわけにはいきませんから、運営予算の総額はかなりのものになりましょう。
 予算に関わりますが、費用がかかっているのは、閉会式花火の「全て国産、長野県産」の花火を使用した。という点にあります。はたして花火の質を各地で同じにできるでしょうか?多くの主催者や煙火業者に誤解されていますが、閉会式花火では「単に8分で5000発消費した」だけではありません。それは「打ち上げられた玉の質も最高だった」ということを忘れては語れません。 
 現在の日本の花火大会で、5000発と言えば大きな規模の花火大会ですが、そこで消費される花火玉の全てが国産品である、という花火大会はどれほどあるでしょうか?多くの花火大会でそうしているように、大部分を中国産の花火玉でまかなえばかなり低予算で閉会式と似たような打ち上げが可能です。しかし「短時間に大量に打てばいい花火になる」のではなく、品質の落ちる玉を打てばそれが10000発でもレベルの低い打ち上げになる恐れがあります。
 次に演出です。「8分で5000発」が一人歩きしているようですが、それはそれだけ打てば必ず良い花火になるというものではありません。感動するということではありません。いちおう凄いことにはなるでしょうがストーリーのない打ち上げは「数を打てば観客は喜ぶ」という、一時期の日本の花火大会の低い発想に短絡してしまいます。閉会式では良質な花火を用いて、綿密な玉の構成と打ち上げタイミングにより充実した8分間のショーを演出したのです。
 打ち上げ場所も問題になってきます。長野でも二度と同じ場所で打ち上げが出来ませんが、日本全国でも10号を含むワイド展開で5箇所以上の同時打ち上げを行っている花火大会は数少ないでしょう。まず保安距離の問題がありますし、それぞれの打ち上げ場所を相当に離さなければならないでしょう。それでも一カ所あたり1000発も連続で打ち上げたら、最初の1分間の後はもう残りは煙の中で見えないかもしれません。点火のシンクロの問題や、打ち上げに当たる人員の確保の問題(長野で煙火師100人程度参加)も生じます。
 このように長野の閉会式の花火には他の場所で同様の打ち上げを、と考えてもクリアできない要素があります。しかし規模を変え、演出とこうしたストーリー性のある打ち上げをする、というコンセプトは取り入れることが可能ですし大いに参考になるでしょう。
 全国のたいていの煙火業者でも長野閉会式と同程度の内容の打ち上げをプロデュースできるでしょうし、「アレくらいウチだって」と思われたことでしょう。各地の主催者の多くが「こっちの花火大会でもああいうのがやりたい」と意欲を持たれたことと想像できます。打ち上げ場所や予算も同規模にするのは困難ですが、同規模でなくても今後は、閉会式型のワイド展開の集中打ち上げ方式が、なんらかに(規模縮小型による実施や、花火大会全体の構成見直しなど)形を変えて各地の花火大会のプログラムに活かされ充実させてくれるなら、それはとても歓迎ができる進歩だと私は期待して考えています。
 長野の閉会式の中継は、世界に向けては「日本の花火」のまたとないアピールの舞台でありましたし、国内の主催者や一般観覧客に向けても、こうした演出による打ち上げが存在し、日本各地の花火大会でも同様な打ち上げを実施・観覧できる可能性があることを知らしめたといえるでしょう。

98/4 小野里公成
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