小幡花火工場見学記
渾身の四重芯仕込み
      

factory.gif 我々花火愛好家数名は煙火業者が最盛期に向かう2001年6月某日、群馬県は菊屋小幡花火店の工場に招かれていた。
 かつてよりの我々のたっての願い、無理な願いを受け入れていただき、この日工場を見学させていただくはこびになったのである。
 そして、小幡清英氏といえば、四重芯変化菊抜きには語れない。我々のさらなる願いに、その四重芯造り、装填作業の一部を見させていただく運びとなった。
 以前より、工程を一切省かない本式の玉込めとなると、そのための部品づくりにもたいへん手間と時間がかかるものだと語っていた。小幡氏をして八重芯の3倍から4倍の製作時間(玉貼りや乾燥時間を含まない組立のみ)を要する、という四重芯造りでは時間もさることながら、さすがに「お見せできない」極秘部分も多いので、最終段階の一部だけ、という制限付きで、なんとか了承していただいたのであった。
 今回のこのリポートもこうした極秘部分を鑑み、我々が目にした全てを克明に書いているわけではないことを予めおことわりしておきたい。

yoeshin.gif「じゃ、そろそろ始めましょうか」。
 緑に囲まれた工場の説明をひととおり終えた小幡氏に促されて、工室に入る。小幡氏は外の明かりが取れるような入り口に近い場所に座った。
 我々一行は、予め小幡氏より指名いただいた、私、花火野郎と見巧者奥村氏、それに愛知県在住で熱心な小幡花火ファンであり、何度もその花火の写真を小幡氏に贈っているK.F氏の3名である。
 煙火工場で装填などのための工室はたいていそれほど広くはない。大人数が同時に作業すれば火薬の停滞量の問題も生じるし危険性も増す。小幡花火店のそれも、2人もしくは3人の職人が座って、それぞれ星や部品、製造のための道具類を身の周りに展開すれば、それでいっぱいになってしまうほどの広さだ。
 工室での安全のための注意事項を聞き、ギャラリーとなる我々が板の間の工室に思い思いに座すといよいよ緊張の時間が始まった。
 3重で6層の芯部はすでに完成しており、そこに在った。つまり、中心の割薬、最も中心の星、割薬、2番目の星、割薬、3番目の星の6層である(左略構造図参照=一般的な四重芯の構造)。星とその内側の割薬は一組と考えて3重に、すでに組んであるのだ。4番目、つまり中心から造るので、一番外側の芯の層をその上にさらに作り始める。われわれが見学できるのは、そこからさらにその外側に親星を装填するまでの工程だった(図のピンク色の部分)。あらかじめその部分だけでも2、3時間では終わらない、と聞かされていた。
 10号の玉皮に親導の外側を補強して固定する作業から始まった。最初がそれなのは糊の乾く時間を考えてのことか、または装填後中身がずっしりと入ってからではやりにくいからだと思う。次に、割火薬と星を装填する、薄くて丈夫な雁皮紙製の紙袋を丁寧に畳み、芯を組み立てるための仮の玉皮の内側に装着した。それからいよいよ割火薬と星を込めていく。全ての星と割火薬はこの紙袋だけで仕切られているので、その役割は重要だ。紙袋を使用して、割火薬と星を仕切るには訳がある。星と割火薬とは、化学反応を起こして危険なため、直接触れあうことが出来ないのだ。

 「親星を込めるまでうまく完成するかわかりません」と言われた。中心から造るが星だけで4重構造なのでこの途中でわずかでも作業が狂っていたら、最後の最後で芯部全体が太ってしまい、親星が収まらなくなってしまうこともある、という。小幡さんの技能にしてそういう予期しない結果もこれまでの四重芯造りでは、実際あったのだという。

aokisoten.gif 小幡氏が習得しているのは長野の紅屋青木煙火店の八重芯造りの技法そのものである(写真・現当主、青木昭夫氏の八重芯造り。よどみなく流れるように造りあげていく)。
 長野の紅屋青木煙火店の初代青木儀作氏が完成させた、という八重芯造りの技法(製法)は、きわめて完成度が高く、現在、小幡氏が手がける作業も改良や改善したところは無く、いっさいが受け継ぎ教えられた通りなのだという。
 その作業は、もっとも中心の割薬部分から外側の親星に向かって、順に立体に組み上げるというもので、手間暇の権化のような製法である。
 作業工程は多く、全てを完全なる手順で、手抜き無く行わなければならない。また組立を自動化できる部分は無く、いっさいが手作りで少なくとも大量生産には完全に適さない、それらとは別物の製作方法である。
 たとえば部品の取扱い。星と割火薬が直接触れ合わないようにするための割火薬を包むための紙袋の畳み方ひとつにも、後の作業をスムースに運ぶための決まった折り方があり、あたかも茶道の手前のように全ての動きに決まりがありなにもおろそかにできないのだ。内側の部分の出来不出来が外側に影響していくので、ひとつとして適当に造れる部分はない。
 しかもそれは、玉込め、つまり組立て作業に限ったことで、玉込めをするための段取り、技術、星づくり、必要な全ての部品づくりから組立てに必要な手作りの道具に至るまで、その全てが一発の八重芯ものが開いて消えるまでのごく短い秒時に関わりがあるので、各段階ごと高い水準で、作業を終えていなければならない。しかしながら開いたときに完全なる球体で、かつ各層の芯が一点で揃うという理想的な八重芯は、結局このプロセスを経ずには出来得ない、ということだったのだろう。
 小幡氏が永年挑み続ける四重芯もこの八重芯造りの技法の延長線上にある。芯が八重芯の倍密度となっているだけに単純に考えても八重芯づくりの倍以上の工程と部品を要する。

oru.gif shinire.gif takebera.gif
星と割火薬を収めるための袋を作業手順に合わせて畳む 出来上がっている部分までの芯を型となる仮の玉殻に置く 割火薬と星を交互に足しながら、底の方から順に組み上げる
     
 「四重芯は1から込めれば1日半はかかります」。
 10秒足らずで燃える、花火玉1発の組立だけで1日半!その集中力と根気には感嘆せざるを得なかった。実際の作業を目の当たりにすれば、「この作業を1日半!」と驚くし、それで装填が終わるのはただの一発に過ぎないのだ。しかもある工程までを10個造り、という量産製法ではなく、1から始めて完成まで終えたら、次の玉を造る、というシーケンシャルな製造方法だから、本式の多重芯菊花型割物造りは、効率とかそういう問題では捉えられない作業なのである。さらにこれは組み立てだけの時間で、実際には部品づくり、なにより四重芯の中に入る5種類の大きさも色も違う星を掛ける時間はまた別に要するのだ。

 小幡氏の周りに目を移せば、紙袋に入った出来上がりの星と割火薬を除けば、傍らには使い込まれた道具が、これまた使い込まれて角が優しくとれた木箱の中に綺麗に収まっていた。それらはもちろん精度の高い工具とか、計測器とかハイテクノロジーな道具ではない。千枚通しや切断のための包丁などわずかな金属の道具を除けば木と紙と竹と麻紐や糊(ボンドを使用)といった自然の素材。花火もまた火薬を包む物のほとんどは木と紙。である。製造物に相応しい、火薬に優しい道具だといえるだろう。
 紙袋から星を拾っては、ひとつずつ型となる仮の玉皮の内側に置いていく。2寸5分の小さな玉殻で割薬をすくって、割薬袋の内側にさらさらと少しずつ注ぐ。割薬を入れると、竹べらを使って割薬を均し、すき間をきっちり詰めていく。見ると、その竹べらからして芯の球面に合わせて、底の方の作業がやりやすいように微妙にカーブしているというものであった。
 ざっざっざっと、竹べらでくまなく突く音が続く、玉殻全体を少しずつ廻しては丁寧に突く。
 人里離れた工室ではあくまで静かな時間の流れだが、細心で張りつめた空気。
 星と割薬は交互に、増量分が一致するように少しずつ込めなければならない。星を一周分装填したら、星の一番上の高さまで、割薬を込める、といったところだろうか。装填は単純な繰り返し作業の積み重ねである。
 星が半分に達すると、折り畳んであった割薬袋を延ばす。窓詰めとなる上半分の玉皮を仮に装着しさらに内側上方に組み上げていく。
 我々一行は唸り、ため息をもらし、半ば呆れ仰天し、そして真剣な指先に、何度も黙りこくるのであった。作業の一つひとつ、指先の動きの全てに引き込まれ、一挙手一投足見逃すまい、一言一句聞き逃すまい、あたかも使徒のごとく見入るばかりだった。
 我々が穴の開くほど見ているせいで、うまく完成しなかったら申し訳ない、と言うと、
 「そんなことないっ」と短く一蹴された、研鑽を積み上げてきた職人に失礼で僭越な物言いであった。

 「不器用ですから、作業がゆっくりですから」と謙遜する小幡氏だが、その手さばきに、躊躇や無駄はない。あくまで決まったやり方を順番に淡々とそして慎重で、細心でなければ高い完成度の芯物はでき得ないのだ。
 八重心など芯物の芯部は(製作時点で)完全なる球体をしていなければならず、そうでなければ打上前の直径の1000倍以上にも拡がって開く10号玉では、あらゆる誤差、歪みも増幅されて、いびつな開きとなってしまうからだ。型となる玉皮のわずかな歪みの修正にも気を配りながら製作を進めている。
takepin.gif 装填した星が天頂に達する頃になると、竹製のピンセットの出番である(写真)。最後のいくつかの星はピンセットで挟んですき間に置いていく。指先との連携で星を微妙に動かしてすき間をこしらえては新たな星を置いていく。全体を回しながら木べらでまんべんなく叩く。そして星と割薬の詰まり具合をならすのである。すると新たな隙間が生じるので、さらに星を足す。これが何度か繰り返されて、ようやく芯部の装填も完了するのである。
 何もそこまで、と考えるのが普通の反応だ。星に隙間があったとて、開花した時に誰が、どの一般観覧客がそのことに気が付くであろう。我々愛好家ですら、きっちり詰めれば400個入る星を、380個で済ませましたといっても気が付くまい。それをきっちりと、もう入らなくなるまで星を詰める。そこが花火作家の良心であり、己に課す満足なのであろう。
 芯の星が天頂まで充分に達すれば、星を包む紙袋を封じ、型となる仮の玉皮から外す。その中身だけを最終的な10号の玉皮にセットして、今度はその周りに親星と割火薬を同様に装填していくのだ。
 4層にかっちりと組み上がった芯部は、見るからに美しくそれだけで精緻な工芸品のようである。それが瞬時に燃えてしまうことが信じられない思いであった。
 芯部も外周となる玉皮の完全に中心部分に置かれなければならない。親星を少し装填しては、微妙な芯の座り具合を何度か修正していた。
 芯の一番外側の星を込めて、芯部を完成させるのに、2時間近く。昼の休憩時間を抜きにして親星を込めて花火玉として装填作業を完了させるのにさらに2時間近くを要した。時間をかければよい花火ともいえないし、短時間で造ったから粗悪な玉であるともいえない。しかしこの時間にはいっさいの滞れも、よどみもなく進められた作業に比例してかかった実際の時間なのである。
    
割火薬を注ぐ。袋も次第に伸ばしていく 天頂部まできっちりと星を詰める 割火薬と星をならすために、全体を叩く
 
 普段は、別の職人と同室で込めても、一言もしゃべることはないです、という小幡氏は、われわれに気をつかってか、時々の気持ちや、われわれの未熟な質問にも簡潔で的確に応えてくれた。
 玉殻の中の星星の配置について、収まり具合について小幡氏は聞かせてくれる、開花したその瞬間にそれらがどう運動し、影響し合うか、割火薬のパワーがどう働くか?を考えている。
 それらは大型コンピュータで解析やシミュレーションをしたわけでもなく、すべてが職人の実感と触感と直感なのである。
 花火作家とは、そこまで考えて、造っているのかと驚かざるを得なかった。いつも思うことだが、この玉殻の中には、小さいが無限の宇宙が閉じこめられているようだ。
 今回見学させていただいたことで、さらなる花火の深遠なる領域を垣間見た。そのことが必ずや、自身の観る目や、撮る写真にも生きてくるだろう。
 花火大会で空を見上げる子供達は花火の仕組みも、玉名もよく知らない。それでも無心に驚き、感動し、歓声を上げる。無垢な心に働きかける。いい花火はそんなものだ。心を込めて作ったいい花火を絶妙のタイミングで打つ。花火屋さんのしていることは、ただそれだけの無心な満足を誘うための良心。  
 小幡氏は闘っている。
 渾身の、それでいて静かな気迫で、闘い、挑むように込めている。メタノール燃料の炎の用に、目には映らずとも、渾身の情熱が背中で静かに熱く燃えている。
 開きの願いと理想を、現実化させるために自らの技能の限りを星の一つ、割火薬の一粒にずつに注入せんとして目の前の花火玉と静かに格闘している。
 経営者として、質の高い花火を作り得る職人として花火と花火大会をとりまく現状とも闘っている。
 花火はどんなものでも安くたくさん上がっていればそれでよい、とする無能な主催者は、煙火店に入札による、競争を強いる。打ち上げる中身が違うのだから、金額では比較検討になるはずもないのだが、ただただ安い見積りを出したところに落ちる。
 それが製造許可ももたない煙火店だろうが、中国製をはじめとする不良な花火だろうが、安全性に問題のある運営だろうが、安い金額のところに落ちる。もっと花火そのものを見て欲しい、良心的な仕事をする煙火店は嘆く。しかし自ら観る目をもたぬ主催者は、金額と、営業トークで煙火店を決めてしまう。積み上げてきた技術や、質を保つための管理体制、なによりもいい花火をつくり安全に打上げ、満足してもらってきた、という自負はどうなるのか?そうした憂いと、憤り、やりきれなさ、経営の現実、そうした思いとも闘っている。
 そうしていながら込める作業の中では、無心にただ開きを思い描き、設計通りに、持てる技術を結集しているように、花火作家として挑むように、心を注ぐように込めている。
 この方は本物の、プロの花火職人である。
 願わくば、多くの主催者が良い花火というものを正しく理解し、評価することをわれわれ愛好家は願うばかりである。

 夕刻、辺りが薄暗くなり、雷鳴が迫り、やがてバケツを返したような土砂降りとなった。群馬であるなぁ。
 「すぐに湿気てきますから」といいつつも作業のピッチは変わらない。芯の時と同様に最後の天頂部の親星を詰めては、いったん蓋をして玉全体を、まんべんなく叩いて星と割薬をならし、肩まで抱え上げて全体を振り、揺する(写真)。そうしてできた隙間にさらに星を足す。それを繰り返した後、装填窓を塞いで玉込め完了となった。小宇宙が密閉されたその時だった。

 玉貼り前、装填を完了したばかりの四重芯を一人ずつ持たせてもらった。我々は、恐る恐る、ありがたく時間の塊を受け取る。小幡氏の手から、四重芯の重みが移った瞬間に、前にのめりそうになる。おずおずと腰を引いて受け取るのでは支えられない重量だ。ただ重いだけでなく、密度の高い重量感が中身を物語っている。星や技術とともに、作家としての小幡氏の心と想いがこもった重さであった。
 花火玉としてはこれで完成ではなく、この後外側に何重にか紙を貼って補強し、乾燥させる工程を経る。
 この日装填を完了した、四重芯は、いつ、どの空が晴れ舞台となるのだろうか。

 煙火店の業務形態もさまざまだ。花火を作らず(造れず)とも国内外から玉を安く買い、安く請け負って打ち上げることも可能だ。商売としての花火屋稼業に熟練の技も必要ない。中国からの格安の輸入玉攻勢の中にあって、なお、この小幡氏の芯物造りの手間の多さと要する技能の高さは著しく対極にある。これは玉を造り、打ち上げる花火職人の良心に裏打ちされた誇りと拘りなのだ。
 今後これほどの手間を掛けた花火玉造りが、どうなるのか誰にもわからない。
 ただわれわれ愛好家は開く花火の向こうに、こうした技と作業と時間を、何より作家の注いだ心血を見て取りたい。主催者は安い受注だけに目を奪われるのでなく、そのことに気が付かなければならない。造る技能も生み出された製品としての花火玉も、文化そのものなのだということを考えなければならない。

 「ひとりで四重芯やっていたときは、寂しかったですよ」。と語る。同時に挑戦している同業者が居れば、悩みや、改善点、アイデアの交換もできたかも知れない。
 しかし小幡氏の孤軍奮闘の、凄絶で渾身の試行錯誤があったからこそ、その情熱にひきこまれるように、今では多くの花火作家が、独自の四重芯に挑戦するようになったのである。芯物としては無謀なのかもしれない。しかし花火職人ならやってみたいと、同調するのだろう。いざ四重芯に開くのを目の当たりにすれば、職人として「俺だって」と奮起したのだったろう。そして後に続く誰もが、パイオニアの通った凄絶で渾身の試行錯誤を身をもって知ったに違いない。1994年に四重芯に込めた玉は初めて四重芯として開くが、最初の扉を開くまでには6年越しの孤軍奮闘があったのである。
 今回、私どもの無理な依頼にも関わらず、多忙な時期にその研鑽の技の一部を見せていただいた小幡清英氏のご好意に、一同心より感謝申し上げたい。
小幡展示室に戻る